2010年7月11日日曜日

砂の女

性懲りもなく、広島から駄文を垂れ流すであるよ。

今泊ってる宿には漫画本とか赤川次郎とかが沢山おいてあり、
3年前からずっと同じメンツなのですが、たまになぜか妙に高尚な本が混ざっていたりして、
俺の頭脳回路と同程度にカオスの様相を呈しておる。
で、空き時間に、なぜか混ざっていた高尚な本、安部公房の「砂の女」を久々に手にとってみたわけです。

大学生の頃、図書館で借りて読んだ時には、「シュールな話だな~」と思った程度でした。
しかし、社会人になって読んでみると、全然違う。
こんな話だったんだ~、って新鮮な気持ちになりました。


初読の頃から思ってましたが、安部公房の書く文って、超頭イイ人のオーラがしとどに溢れ出ていらっしゃる。
あまりに頭が良すぎるので、しばしば頭の悪い俺には理解しきれない。
何度も読み返した今でもまだ、完全に理解できてるとは思えない。
思考の文体を安部公房に似せれば俺も少しは頭よくなれるのかもしれぬ。

最近はずっと本を読むときはファンタジー系ばっか読んでた。
本に求めるものが、現実からの逃避なので、なるべく荒唐無稽で、なおかつ頭を使わないで済むものが望ましい。
最近はダイアナ・ウィン・ジョーンズばっか読んでた。
でも、安部公房のような本こそ、ずっと手元に置いておくべき本なのであろう。
「燃え尽きた地図」とか「飢餓同盟」とか、他の作品も大学生の頃に読んだけど、やっぱりよく分からなかった。
「飢餓同盟」なんか、「藤野うるわし」「藤野健康」「藤野幸福」しか覚えてない。
真面目に本、集めていこう。

で、社会人になった今「砂の女」を読んで思ったこと。
どこにいたって同じなのかもしれぬ。
そう考えれば、人間は少しは自由になれるのかもしれぬ。

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